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ARCHITECT(建築探訪)

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 ・2/24 OTYA08〜40を追加


 

OTYA01 ニコライ堂(東京復活大聖堂)

1891年(明治24年)竣工 設計はミハイル・アレフィエヴィッチ・シチュールポフ(Mikhail Arefievich Shchurupov)、ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)、岡田信一郎。
通称の「ニコライ堂」は、 1861年(文久元年)に函館のロシア領事館付司祭として来日し、 1872年(明治5年)東京に日本ハリストス正教会を樹立したニコライ神父(俗名:イオアン・デミトリヴィチ・カサートキン Ioan Dimitrovich Kasatkin 1836-1912)の名に由来するそうです。
ロシア人建築家シチュールポフの設計図面を基に、 コンドルが実施設計・監督を行い、 工事は1884年(明治17年)に着工され、1891年(明治24年)2月に完成。 建設場所の駿河台は東京市中を見下ろす高台で、大聖堂は東京の大部分の場所から眺められ、 東京のランドマークとなった。
1923年(大正12年)の関東大震災により、 大聖堂の鐘楼やドーム屋根が崩壊し、内部も焼失しました。 大聖堂の修復工事の設計は岡田信一郎が担当し、1927年(昭和2年)に工事が開始され、 1929年(昭和4年)に完成した。 屋根と鐘楼の外観は、創建当初の姿とは異なっているとのこと。現在は廻りの建物も大きく、目立たなくなっていますが、この外観とデザインは歴史的価値ありです。設計者の岡田信一郎は銀座の歌舞伎座、竹橋の博報堂などがある。

 

OTYA02 湯島聖堂

1935年(昭和10年)竣工 設計は伊東忠太
湯島聖堂は、 1690年(元禄3年)に5代将軍・徳川綱吉(とくがわ・つなよし 1646-1709)によって建てられた孔子廟で、もとは、 1632年(寛永9年)に上野忍岡(現:上野公園)の林羅山(はやし・らざん 1583-1657)邸内に建てられた孔子廟「先聖殿」を神田台(現:湯島)へ移し、 「大成殿」と改称するとともに、付属する建物を「聖堂」と総称した。 その後、寛政の改革により1797年(寛政9年)に林家の施設であった聖堂は幕府に収公されて、 「昌平坂学問所」となった。
大成殿は江戸の大火や関東大震災により焼失し、 その度に再建された。
大成殿は週末以外は堅く扉が閉ざされており中は見られずじまい。平成5年に改修が行われ、綺麗に化粧直しされた。(古めかしい雰囲気は無し)桜も綺麗に咲いていて春満喫でした。設計者の伊東忠太は築地本願寺を始め多くの寺院設計で有名。

 

 土塀が妙にかっこいい!

<秋葉原周辺>

OTYA03
コイズミライティングシアター/イズム
 1990年 北山孝二郎+ピーター・アイゼンマン(アメリカ)
事務所、ショールーム 格子状の部分を北山孝二郎、キューブ部分をアイゼン漫画設計。上部では二つの歪んだキューブ(アイゼンマンキューブ)が食い込んでいる
 



OTYA04
田島ビルディング
1994年 マイケル・グレーブス(アメリカ)の設計 ポストモダンの先駆者の一人。神田川に面した立地でJRからも見える。ブール-都市路のチェックタイル模様とクラシカルなデザイン
 

OTYA05
詳細不明
田島ビルディングに並んだ神田川沿いが数軒建て替えられており、その一棟(テナントビル)。シンプルながらファサードのルーバーによりスッキリとした印象を与えている。

OTYA06
SCALA GRIGRA
1998年椎名誠の設計。靖国通りにぽっかりと隙間にRCのルーナーとガラスの建築。背面にある集合住宅とこの商業建築の複合。
 

OTYA07
福武ホール
安藤忠雄の設計。
東大創立130周年を記念して2008年3月に建築された「福武ホール」。ベネッセコーポレーション会長の寄付により、長さ100mの細長い敷地にRC打ち放しの外装に地下の奥深くまで太陽光が降り注ぐ。
 
 



OTYA08 東京都戦没者霊苑
1988年 相田武文の設計。後楽園の中央大学理工学部隣にひっそりとある。RC打ち放しの壁と水路が取り囲んでいる。



 

OTYA09 トーキョーワンダーサイト
2001年 ランドスケープ研究所にて戦前の建築の内装をギャラリーとしてリニューアル。新人芸術家発掘のための東京都プロジェクト。

OTYA10 ユピテルビル
1990年 白井晟一の二代目となる白井昱磨の設計。ギャラリーとオフィスビル。2階までの重厚なファサードに、上階では壁が内側に窪み、センターにスリットを設けて変化を付けている。周辺の建築とは趣が異なる。

OTYA11 テクニカハウス
2001年 竹中工務店の設計。住宅+オーディオメーカーのオフィス。大きな門型フレームに取り付けられたユニット、サインの取付方が建物にマッチしている。

OTYA12 ユーメリアビル
1996年 設計組織A・D・Hの設計。ガラスブロックの格子に三角の窓、上階のシリンダーと黒い逆四角錐型の塔屋と異なる形状の組み合わせで楽しい。

OTYA13 おでん こなから
詳細不明。老舗のおでんやらしく、風情を感じる。

OTYA14 BYハウス
1985年 長谷川逸子の設計事務所である。築25年の割に綺麗にメンテされている。
 

OTYA15 物質試行36 プロジェクトK2
1993年 鈴木了二の設計。35坪の敷地に店舗、住宅、オフィスが入る。厚みのあるRCの形状で強固なイメージと異なる用途をそつなく纏められたファサードである。

OTYA16 神田明神
昭和9年の竣工で、平成6~11年に大規模は改修を行っている。昭和初期としては斬新なRC造であるが、木造に見える様工夫されている。



OTYA17 KYOUSERAビル
詳細不明。パチンコ機器メーカーの事務所兼ショールーム。カーテンウォールの方立が穴空きとなっているのが目を引いた、グレーチングルーバーの庇も設けられている。

OTYA18 神田明神下 神田川本店
うなぎ屋で有名。著名人御用達の老舗である。

OTYA19 Y・M・D
1991年 今井雅樹の設計。山田照明本社ビルで前面道路が狭く上部が見えないがヴォールト屋根で塔屋がユニーク。


OTYA20 FH協和スクエア
2002年 伊藤博之の設計。店舗+集合住宅で建物の中央に吹き抜けがあり立体的に組み合わせた形状となっている。

OTYA21 詳細不明
セットバックした最上階にスチールのフレームがあるのが特徴。

OTYA22 詳細不明
アルミスパンドレルの外壁とガラス窓がスッキリとした印象を与える。

OTYA23 魚志ん1987
1987年 富永譲の設計。住宅+店舗で湯島天神への入り口近くにある。以前は木造3階建てに囲まれていたが、現在は様変わりしている。

OTYA24 詳細不明
湯島天神女坂入り口にある飲食店。昔はこんな建築が密集していたはず。

OTYA25 詳細不明
湯島天神女坂脇の木造民家。
 

OTYA26 湯島天神
権現造りの建築様式で純木造である。なんと458年の創建で学問の神様 菅原道真公を祀っている。季節柄梅が咲き始め賑わいを見せていた。


 


OTYA27 A・D HOUSE
サラダン設計事務所の設計の共同住宅。湯島天神の直ぐ近くにある。RC打ち放し壁の汚れが目立つが趣が感じられる。
 



 朽ちたレンガ塀が時代を感じる

OTYA28 詳細不明
A・D HOUSEとなりの店舗+共同住宅。バルコニーの軒裏が木製で、5階のセットバック部分の外壁デザインが良い。

OTYA29 詳細不明
シンメトリーのファサードでパーキングの左右に入り口がある。

OTYA30 新建築社
清家清の設計。建築雑誌で有名な事務所で、隣の公園と中庭が繋がる。


OTYA31 ウイング・コア・ユシマ
1987年 染谷正弘の設計。RC打ち放しの外壁とヴォールト屋根。20坪の敷地に5階建てとするため、斜線制限を上手に処理している。


OTYA32 橋本ビル
富永譲の設計。最上部の外壁が曲面になっている。

OTYA33 詳細不明
角地にあるオフィスビル。異なるファサードをコーナーの斜め壁で上手く処理している。

OTYA34 龍岡門
東大付属病院への通用門。大正15年、内田祥三、岸田日出刀の設計。

OTYA35 東京大学文学部3号館
1987年、大谷幸夫の設計。1階はピロティーとなっており、回廊の様に連続した動線を造っている。


OTYA36 東大法学政治学総合教育棟
槇文彦の設計で道路に面してガラス張りのカーテンウォールとなっている。

OTYA37 東京大学弥生講堂
香山壽夫の設計。構造材は岩手県遠野産の天然ベニカラマツを使用し、ジョイントには金物を一切使用していない。

OTYA38 法文2号館のアーケード(東京大学文学部3号館側を見る)
1938年の完成で内田祥三の設計。れちゅうには古代ギリシャ風のモニュメントがある。

OTYA39 安田講堂
1921年 内田祥三、岸田日出刀の設計。1968年の大学紛争で有名。シンメトリーの綺麗なファサード。

OTYA40 東大弥生講堂アネックス
2008年竣工 河野泰治設計。木造HPシェル構造のギャラリー部分と国産檜材による在来工法の研究棟。





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